哲学的雑談 2
 
「ブランド論の本質」
 
(これはある先生と弟子の会話です)
 
(弟子) 先生、アルマーニが好きなんですか?
 
(先生) ドキッ!何でそんな事知っているんだ?
 
(弟子) だって先生のホームページに『夢の印税生活』が始ったら、
ジャガー、アルマーニ、ドンペリだ〜。って書いていたじゃ
あリませんか。先生の欲しがる物って、結構平凡ですね。
 
(先生) あれはジョークだ。本当に欲しいのは、ホンダCB400Fと
色紋付で、お金が有れば、愛刀の呉服山利則を
研ぎに出したいんだけど、そんなこと言っても
何の事だか君にはわからんだろう。
 
(弟子) 「しーびーよんひゃくふぉー」ってなんですか?
 
(先生) いいんだ忘れてくれよ。
とにかく「欲しい物」と言うのは「それが何を意味しているのか」
知らない人にとっては何の意味も無いのだよ。ただの記号
なんだから。
 
(弟子) 「・・・・・?」
 
(先生) 分かりにくかったかな。ではこう説明しよう。この世には
ブランド品と言う物があるね。君もいくつか持っているだろう。グッチ
とかヴィトンとか。何故、そういう物を君は購入するのかね?
 
(弟子) 先生、私をバカにしては行けませんよ。ブランド品は
『象徴価値』の記号なんて手抜き説明じゃ、納得しません
からね。
 
(先生) おお、手厳しいのう。確かに’80年代バブル華やかなりし
頃に、バルトやボードリヤールからの引用をちりばめたその手の
ブランド論を私もずいぶん読まされた。それも、今は昔だ。
この読者の中にはバブル期には、まだ幼稚園児や小学生だった
方達もいるやもしれぬ。「ブランド品」の記号的本質について
考察するに先だって、とりあえず、その「象徴価値論」なる理説を
もう一度確認しておく事も無駄ではあるまい。
 
価値にはいくつかの形態が有る。経済学では「使用価値」と
「交換価値」の二つに考えるのが普通である。「使用価値」と
言うのは、商品やサービス「そのもの」に内在する価値である。
 
例えば、「カメノコダワシ」は「鍋を洗うのに便利」である。
これが「使用価値」だ。一方「交換価値」と言うものがある。
「交換価値」と言うのは、その物に対する需給関係によって
決定する価値の事である。例えばボートの「使用価値」は
「水に浮く」事である。これはいかなる局面においても変化
しない。しかし、ボートの「交換価値」は「晩秋の湘南海岸」と
「タイタニック号沈没5分前」ではだいぶ違う。
この二つの違いは分かるね。経済学ではこの「交換価値」の
事を普通は「価値」と呼んでいる。しかるにボードリヤールは
ここに更に「象徴価値」と言う物を付け加えたのである。
 
このアイデアの基になったのは、文化人類学者マリノフスキー
が伝えたトロブリアンド群島の「クラ」と言う儀礼である。
クラでは二つの物が交換される。「ソウラヴァ」と言う名の赤い
貝の首飾りと、「ムワリ」と呼ばれる白い貝の腕輪である。
クラ交易の規則は次の通り。
@交易には、それぞれの集落で特権的な地位に有る一部の
男性しか参加できない。
Aメンバーは円環をなして繁がっており、それぞれ自分の
「交易」のパートナーが決まっている。(身分の高い人間
ほど、パートナーの数が多い。)
Bメンバーは貝で出来た財貨を受け取り、それを短期間所有
したのち、次のパートナーに手渡す。(つまり「ソウラヴァ」と
「ムワリ」は永遠にぐるぐる円環を回り続けるのである。)
 
(弟子) ・・・・?何なんです、これは?
 
(先生) これこそがブランド品の記号性の本質をなす構造
なのだよ。
 
(弟子) 先生分かりません。
 
(先生)やはり、分からんか。では説明しよう。
ボードリヤールはこの儀礼のルール@、つまり、ある社会的
地位を持った人間しか、クラの交易に参加できないという
ルールに着目した。「ソウラヴァ」(赤い貝)や「ムワリ」(白い貝)
を所有している事は、その事だけですでにその人が、高い
社会階層に帰属している事の証拠になる。そして身分が
高ければ高いほど、交易のパートナーが増えるので、誇示
出来る物も増える。だから、この貝の装飾品にとって
「使用価値」は副次的な意味しかない。(現に「ソウラヴァ」も
「ムワリ」も小さすぎて、成人男性には着用する事が出来ない。)
 
ボードリヤールは、ある種のブランド品がこの「貝の装飾品」と
同じ「社会的差別化の記号」として機能する事に気付いた。
その商品のクオリティが高いとか、デザインが良いとか、使い
勝手が良い、と言うような事はどうでも良くて、要するに
「それを所有する事が、ある種の社会的ステイタスの記号と
なる事」をボードリヤールは「象徴価値」と名付けたのである。
シャトーマルゴーとかエールフランスのファーストクラスとか
ロールスロイスとかは「象徴価値をその価値の主要形態と
する財産」である。これをブランド品と呼ぶのだ。
 
(弟子) なるほど、良く分かりました。
 
(先生) いやいや、まだ分かってないよ。実はクラの機能は
「社会的な差別化」と言うようなセコイ話には留まらないのだ。
クラの儀礼からヒントを得ながら、実はボードリヤールは大事
な事を二つ見落とした。一つは、クラの儀礼の本当の狙いは
「クラ交易に参加できない人間を差別化」する為の物ではなく、
「クラのパートナー」と生涯にわたる「兄弟仁義」で固く結ばれる
為の物だと言う事である。「クラのパートナー」は様々な土地に
散らばっている。航海者であるトロブリアンド島の人々は帆船を
操って島々を訪れて交易をするのだが、どの島にも「クラの
兄弟」がいて、食物を提供し、贈り物を贈り、異国での身の安全
を保証してくれる。「花田秀次郎(高倉健)」と「風間重吉(池部良)」
の関係だと思って頂ければ良い。
 
(弟子) ハナダヒデジローって、誰ですか?
 
(先生) なんだ、君は「昭和残侠伝」も知らんのか。川島武宜の
「日本人の法意識」と、土居健郎の「甘えの構造」と、高倉健の
「昭和残侠伝」は「日本人論」の古典だゾ。後で先生が「人斬り
唐獅子」を貸してあげるから、来週までに「日本人の疑似兄弟
関係の倫理と病理」という題でレポートをまとめて来るように。
ああ、君が余計な事を聞くから話が脱線しちゃったじゃないか。
 
(弟子) クラの兄弟がどうとか言ってましたけど。
 
(先生) それそれ。クラはある種の「兄弟盃」として機能して
いるのだ。一種の「拡大家族」とも言えるし、「安全保障」とも
言える。同時に、「誰と五分の兄弟か」という事が花田君達の
世界で重要な事案であるのと同様に、トロブリアンド島では、
どれくらい多くの「クラ兄弟」を持っているかという事が、その
人物の社会的威信を基礎づけているのである。
つまり象徴価値のある財貨とは、単に同一共同体内部での
位階差を示すだけではなく、その一方で複数の共同体を横断
する「同胞ネットワーク」を形成する為の「リンク」でもあるのだよ。
そればかりではない。クラの儀礼で一番大事な事は、全ての
クラの装飾品には「固有の物語」が付随している事にある。
 
装飾品の所有者達は(一時的に所有しているだけで、必ず
それは次の誰かにパスされねばならない。)その品物について
「いつ誰がそれを身に付けたか、どのように所有者が転々と
変わってきたか、それを一時的に所有する事が、どれほど
重要な地位のしるしであり、村の栄光であるか。」などと言う
歴史を語りたがる。
 
つまり「ソウラヴァ」と「ムワリ」は、「物語を無尽蔵に封じ込めた
容器」なのである。この装飾品を持っている人間が、ある種の
社会的威信を発揮しうるのは、その装飾品が「無尽蔵の物語」
を発信するに他ならない。これは単なる「社会的威信の記号」
ではなく、それ自体が「物語を語る記号」なのだ。
 
(弟子) 先生分かりました。「レッド・バイオリン」のバイオリンとか
「ザ・メキシカン」の伝説の拳銃みたいな、それが色々な人の手を
転々としたと言う履歴その物がクラの装飾品の価値の実体
なんですね。
 
(先生) さすが日頃から私に鍛えられているだけあって、呑み
込みが早いな。そうなのだよ。象徴価値が社会的な差別化を
果たすと言うのは、その効果のごく一部に過ぎないのだ。
象徴価値を持つ財貨は、持っている人と持っていない人を
差別化する為ではなく、それを所有する人々をある「神話」
体系の中で一つに結び付け、全員が主体的にその「神話」
に新たなエピソードを書き加えつつ参与するという快楽を
提供する為に存在するのだ。
 
ロールス・ロイスには「深夜プラス1」が、アストンマーチンには
007号が、ポルシェにはヒトラーとジェームスディーンが、もれ
なく「おまけ」で付いている。だからこそ、それらの車は、その
「おまけ」を解読できる者達の間では象徴価値ある財貨として
成立するのだ。象徴価値の本質は何よりも「物語」を共有する
事によるネットワークの立ち上げにある。
だから、君があるブランド品を欲望するのは、単に「金がある」
とか「センスがいい」とかいう事を誇示したいが為にするのでは
無く、それを核とした「物語」を介して、他者と結び付きたいと
言う切実な欲望に駆動されての事なのだ。
 
君の持ち物に対して友人が「あら、ステキ」と言ったとする。
その時、君と友人は、その品物の「真価」を知る「物語共同体
の成員」同士となる。その共同体は、その構成員が少なければ
少ないほど、親密なものとなるだろう。
現に、私達が知る最も激しい欲望は「私はあなたが欲しい」という
言葉で言い表せるが、それは「あなたの本当の価値を知っている
のは、この世界であなたと私だけだ」というメッセージに他ならない。
もし、それに対して「私もあなたが欲しい」と答えが得られたなら、
二人は構成員が二人しかいない閉じられた、これ以上なく親密な
「物語共同体」の成立に同意した事になる。
人間は「もの」を欲するのではない。人間がその存在をかけて
欲望するのは、「他者と物語を共有する事」。
すなわち「他者に
承認され、愛される事」なのである。
 
 
      (著  内田 樹  神戸女学院教授)