哲学的雑談 1
「大人になること」
(これはある先生と弟子の会話です。)
(弟子) 先生『大人になる』って、どういう事なんでしょうか?
(先生) おっと、直球ど真ん中の問いが来たね。しかし直球であろうと、チェンジアップであろうと、
私はあらゆる問いに即答する用意が出来ている。お答えしよう。そう問いかけた時に、
君はすでに答えを知っていた。以上。ではさらば。
(弟子) 先生!ちょっと待って下さい。それだけですか?
(先生) そうだよ。
(弟子) そんな〜。殺生な。意味がわからないですよ。
(先生) しょうがないな。じゃあ説明しよう。君は気が付かなかったかも知れないが、
この問いかけのうちには、二つの言明がすでに含まれている。一つは
「私は子供です」。一つは「あなたは大人です」。だ。
(弟子) どうしてそういう事になるんですか?
(先生) だってそうだろ。「・・・とはどういう事ですか?」という問いは普通「答えを知らない人」
が「答えを知っているはずの人」に向ける言葉だからだ。そして、「誰かが、自分には
解けない問いの答えを知っている」と考える事、実はこれが「子供」の定義なのだ。
そして、「子供」が「答えを知っていると想定している人」のこと、これを「大人」と呼ぶのだ。
「子供」と「大人」の定義は尽きる所これだけだ。だから、君は問いを発した瞬間にすでに
自分で答えを出していたのだよ。君は私の事を「答えを知っている人間」だと思った。
君がそう思っているなら、私は「大人」だ。
(弟子) 先生は大人じゃないんですか?
(先生) どう思う?君は私が大人であると判断したからこそ、問いを発したんだろ?という事は
「大人とは何か」を君がもう知っていた事になる。しかし、君の問いはまさに「大人とは何か」に
ついてのものだった。つまり、君は「大人とは何か」を知らないにもかかわらず、私が「大人で
ある」と判定した事になる。何故そんな事が出来るのであろう?
(弟子) 先生、頭がぐらぐらしてきました。
(先生) すまないね。でもそうなんだから仕方が無い。「大人」とか「子供」とかいうのは実在する
ものではないのだ。時々、「大人」というのは「生活費を稼げる人間の事だ」とか「何事についても
定見を持っている人間の事だ」とか「孤独に耐えうる人間の事だ」とか、定義する人がいるけど、
そんなのはまるで無意味だ。「大人」とは「子供から大人だと思われている人間のことである。」
これに尽きる。
(弟子) そうなんですか?
(先生) そうだよ。「大人」は「子供」との関係にある種の「水位差」としてしか存在しない。「差異の
うちに棲むもの」という意味では、それは貨幣や情報と同じだ。「貨幣」は誰かが受け取らない限り
無価値だし、「情報」も誰かがそれを聞きたがらなければ、無価値だ。「大人」も同じさ。誰かに
「大人だ」と承認されない限り、「大人」は存在しない。「大人」というのは、「子供」から「大人になる
にはどうしたらいいのですか」と問い掛けられた当のその人のことなのだよ。
(弟子) 「・・・う〜ん?」
(先生) 解からないかな?じゃあね、「自立するってどういうことですか?」とか「自分の頭でものを
考えるって、どいう事ですか?」という問いかけをする人間は自立してないし、自分の頭で考えても
いない。ということは分かるよね。だってそれは「借金を返済したいんで、お金を貸して下さい」と
言っているのと同じことなんだから。問いかけを通じて「一般解」を求める限り、人は自立する事も、
自力でものを考える事も出来ない。自立していて、自力で思考する人とは「誰かが一般解を知って
いる」とは思わない人間の事だ。
(弟子) じゃあ、いったい「子供」はどうすれば、そう言う境地にたどりつけるのですか?
(先生) 少し歴史の話をしよう。18世紀の終わりにフランス革命があったね。その時に旧体制の
貴族達の多くはイギリスに亡命した。そして、サロンに集まっては、一体全体どうした訳で私達は
こんな憂き目に遭ったのか、終わりの無いお喋りを繰り返した。彼らは、自分達の特権や財産が
あれよという間に失われた事の理由がどうしても理解できなかったのだ。だから、彼らはこういう
ふうに問いを立てた。「革命が起こったのは誰のせいだ?」彼らはシステム自体が時代遅れで使
いものにならなくなったので、自然に崩壊したというふうに、考える事が出来なかった。だから、革
命はシステムの外部から侵入した邪悪で強大なもののせいだ、という話型に飛びついたのだ。
かくして、実に様々な「張本人」の可能性が吟味された。イギリスの海賊資本、プロテスタント、
フリー・メーソン、ババリアの啓明結社、シオンの賢者達・・・何だって良かったんだ。
(弟子) それと「大人になる」とどういう関係があるのですか?
(先生) 似たような話は、君の周りにもあるはずだ。自分の身にうまく説明のつかない出来事が
起きた時、その原因を「誰かの悪意」に求めて説明しようとする人がいるだろ。あらゆる問題につ
いて、「誰のせいだ?」というふうに問いを立てる人がいるだろ。「子供」は、説明できない事が起
こると、その原因を「私の外部にある強大なもの、私の理解の超えたもの」、つまり、「あらゆる問
いの答えを知っているもの」に帰着させようとする。だから「子供」は神を信じるのと同じ位簡単に
悪魔の実在も信じる。「誰かが全部裏で糸を引いているんだ」。そういうふうに考える事、それが
「子供」の危うさだ。だからこそ「子供」はしばしば恐るべき暴力の培養基ともなる。「強力な悪が
何処かに局在していて、世界中の出来事をコントロールしている」という考え方をする人間は、た
とえ老人であっても「子供」だ。
(弟子) ではジョージ・ブッシュは「子供」ですか?
(先生) 人類学的基準からすれば、答えはイエスだ。「私」は無垢であり、邪悪で強力なものが
「外部」にあって、「私」の自己実現や自己認識を妨害している。そういう話型で「自分について
の物語」を編み上げようとする人間は老若男女を問わずみんな「子供」だ。こういう精神のあり
方が社会秩序にとって、潜在的にどれほど危険なものかはヒトラー・ユーゲントや紅衛兵や
全共闘の事例からも知れるであろう。中世の日本においても、「酒天童子」とか「京童」とかは
恐るべき暴力と破壊をもたらす秩序紊乱者の別名だった。網野善彦さんによれば、「童子」と
は秩序にまつろわぬものの別名なのだけれど、「子供」の暴力性とは、「ここにある秩序以上
の秩序」がどこかにあると信じているものだけが自分に許す事の出来る暴力なのだと。
だからあらゆる社会には「大人になれよ」という成長への動機づけが存在する。それにもかか
わらず、「大人とは何か」についての実定的な条件は存在しない。
(弟子) ・・・う〜ん?
(先生) 分からない?「子供」は「大人」にならなくてはいけない。だけど「大人とは何か」の条件
は実定的には規定されていない。どうしてだろう?
(弟子) 分かりません
(先生) 「子供」は自分の外部に「大人」がいて、全てをコントロールしていると信じ込んでいる。
こいつを何とか騙して、「大人」に仕立て上げないと、社会は立ち行かない。ところが「子供」に
対して使えるのは「子供用道具」だけだ。そりゃそうだな。「貨幣」や「株式」の意味を知らない
人間を札束や債券で買収する事は出来ない。「子供」を騙すには、「子供」が大切にしている
道具を使うしかない。となれば、使える道具は1つしかないじゃないか。
(弟子) なんですか?
(先生) 「何処かに大人がいる」という「子供の思い込み」を利用するしか「子供」を「大人にする」
手は無いって事さ。だから「大人」たちは「子供」に向って「私達は大人であり、君達の知らない事
を全て知っている」という大嘘をつくのだ。そして、「子供」たちはこれにころっと騙される。そして、
「大人」のあとを必死で付いて行く事になる。
(弟子) その後はどうなるのですか?騙されたままなんですか?
(先生) 「子供」は「大人」は「何かの叡智」を蔵していると信じてずっと「大人」に付いて行く。
そして長い歳月が経った後に、「大人」はそんなものを持ってやしなかった、という事を知る
事になるのだ。
(弟子) ひどい話ですね。
(先生) そうでもないよ。「大人はいかなる叡智も蔵してはいなかった。けれど、私はそれが
あると思って、ここまで付いて来てしまった。」と言う事を知ったとき、その人はもう「大人」に
なっているのだから。
(弟子) どうしてですか?
(先生) だってそうなんだもん。「大人」の概念は「ここにある秩序以上の秩序」なんか何処
にも存在しない、「人間の知を超える知」なんか何処にも存在しないという事を「子供」に教
える為の詐術的装置だった、という事が分かった時に「子供」は「大人」になるんだから。
(弟子) そんな事を「子供」にばらして、いいんですか?
(先生) 勿論さ。だって現に今、君は私の話を信じているだろ。モーリス・ブランショはこう
書いている。「作品は消える。しかし消えたと言う事実は本質的な物として残る。」
こういうのは、大人にしか言えない言葉だな。疑い深い人間に「そこには何かがある」
と言う事を信じさせる最良の方法は、「そこには何も無い」と執拗に断言する事だ。
それは「何かを手に入れる最良の方法は、それを他者に与える事だ」というヴイストロース
の洞見と深い所で通じていると私は思うのだがどうかね?
(著 内田 樹 神戸女学院教授)
